どうして妖精なのか、とよく聞かれる。 問いかけた人は、きまって、ふと微笑む。 懐かしさと切なさ、もう二度と戻ってこない日々を、取り戻そうとするかの様に。 いつも聞かれながら答えに窮していた。 が、ふっと昔の頃の気憶を思い出してからは、楽になった。 それはきっと近頃よく見、画いている古代インド教の地で活躍したシバ神の姿や形、 南洋ジャワ、スマトラ地方に伝わるマカラの神々、 それにこのギリシャ神話の神々が混ぜ込まれ、 掛け合わされて、私の心の篩(ふるい)を通して現れてきたものに違いないと。 妖精は、夭である。 夭々たる姿、形、はその家良しと古代中国詩経国風にもある。又妖精は陽性でもある。 明るく楽しげに、生き々との陽気暮らしが人々の切ない願いであり望みでもある。 こんな妖精を、もっともっとかきたい七変化の様に。 長谷川塑人